“頭の中にある音楽。これをどうやって弾くんだろう?からがスタートです。”
2020年3月初旬、小雨が降る中ギターを携えた福江氏が現れた。昨年9月にはじめてライブに行かせてもらった以来の2度目まして。オリジナルの音楽を軸に奏でられる彼のギターの音色が一瞬にして蘇った。優しくも不明瞭で、角が落とされたストイックなギターリストという印象だった。その音は艶やかで色気さえも感じる。全ての曲にそれぞれの物語があり、言葉”ではなく“旋律”で表現される彼の音楽は、短編小説を読んでいるかのようだ。今回はこれまでの音楽遍歴や、作曲秘話などについて語ってもらった。
-音楽をはじめたきっかけは?
幼稚園の頃ですが、文集にも残っていて、「作曲家」になりたいって書いていました。姉がピアノをやっていた影響もあるかもしれないですが、家で普通にクラシック音楽がかかっていました。それをCDからカセットテープに録音したものをいっぱい作っていたんです。その頃から、自分の音楽を作りたいと思っていました。とにかく、音楽を並べて、ストーリーを考えるのが好きでした。
—え?5歳とか6歳で、ストーリーを考えるってすごいですね。
そうですね(笑)友達と遊ぶよりも、ひとりでそんなことをやっている方が楽しかったんです。カセットに曲名を書いていって、ひとカセットごとに自分でタイトルを考えるんですよ。そんなのがいっぱいあります。
—うわー見てみたいですねー。
まだ、倉庫に残ってると思いますよ。その後も母親が趣味で家でギター弾いて歌っていたりしていたので、ちょいちょい触っていたんですが、本気で弾きはじめたのは19歳ぐらいからでした。
—高校生のころにバンドなどは組まなかったのですか?
なかったですね。でも、音楽には興味がありました。高校生の時に、学校の音楽発表会で自作のミュージカルをやったことがあるんです。普通は楽器を演奏したり合唱をするんですが、僕たちだけ前代未聞のミュージカルだったんです(笑)4人のチームでやったんですけど、僕は音楽をつける担当とピアノを担当していました。
—高校卒業してから、本格的にギターをはじめたのですか?
京都の大学にいったんですけど、うまく学校に通えず入って3ヶ月で休学したんです。そのとき、実家に帰って、狂ったようにギターばっかり弾いてました。
—ジャンルはどんな曲弾いていたんですか?
ロックとか、パンクとかでしたね。エレキギターを弾いていました。今とは全然違う(笑)。生まれてはじめてスタジオにいったのもこの頃でした。その後、もう一回大学に復帰するんですが、その時に軽音楽部に入りました。それから、ライブ活動をするようになりました。
—ライブでギター壊したりしていたって言われてましたね!
そうです。そのころに、楽器こわしたり、燃やしたりしてました(笑)
—激しいですねー(笑)まったく、想像できない!
軽音楽部は色々なジャンルをやっている人がいたんですけど、ギターは僕しかいなくて。先輩がアイリッシュ音楽をやりたいから一緒にやろうって誘ってくれて、それから京都の路上で弾きはじめました。そこで声をかけてくれた人が色々なミュージシャンがセッションしているアイリッシュパブを紹介してくれたんです。そこで、バイオリンニストの功刀丈弘さんに出会いました。その場でスカウトされて、葉加瀬太郎さんのオープニングアクトのツアーに誘ってもらえたんですよ。意味わかないんでしょ(笑)ライブもそこそこやったことがなかったのに(笑)急な出来事でした。いきなり、NHKホールとか、大きな舞台で演らせてもらったり、DVDの撮影に参加させてもらったり。まだ、20歳とか、21歳ぐらいの時で、なんで俺なの?ってわけわかんない感じでした(笑)
—作曲活動はいつぐらいからですか?
本格的にはギター触ってたころから作っていましたけど、5歳ぐらいからピアノで作っていました。
—作曲することにおいて、大事にしていることってなんですか?
“頭の音に忠実に。”です。たとえば、練習しているときに手癖で作るってことは絶対していなくて。最初に頭の中に描いたものをギターで再現するって方法でやっています。頭の中にある音楽をこれどうやって弾くんだろう?からがスタートです。ちょっと、気を抜くと、すぐ飛んでいっちゃうので、すごい集中していかに現実化するかが重要なんです。それを大事にしています。
—クライアントがいる場合も一緒ですか?
そうですね。なるべく、楽器を使わずに頭の中で先に考えて作ります。曲によっては、半年かかるものもあれば、30分で作れることもあります。何か納得いかないってときは時間かかりますね。
—30分で作れることもあるんですね。
多分、そういうときは、その曲をつくるのが人生においてそのタイミングがベストなんでしょうね。苦しむ時の方が多いので、稀ですけど。
—ライブと作曲で音楽を楽しむといった意味で違いはありますか?
人と共有するかしないかの違いが大きいと思います。作曲はひとりでやるものなので、ライブがやっぱり好きです。自分が本領発揮できるのは、ライブと思っています。
—ライブでお客さんからもらう刺激はありますか?
最近、本番前に客席に行くのが好きなんです。大きなホールではできないけど、コンパクトな会場だと、先にお客さんと話してその人を知ることによって、ライブの空気がつくりやすくなります。自分もリラックスできてお客さんと繋がりやすい。相手も緊張してるってわかるので、それをほぐすという意味もあります。ライブ終わったら、一緒に飲みたいですね。直接感想も聞けるのが嬉しいです。地方にツアーにでると、その土地のおじいちゃんやおばあちゃんと話したりするのも楽しいです。
—人と話すことによって曲づくりに影響したりすることもありますか?
ありますあります。やっぱり人の人生ってみんなすごいじゃないですか。そういうところからインスピレーションが働いて、曲ができます。
—具体的なエピソードはありますか?
「centra」っていう曲なんですが、男子だけで飲んでると哲学的なめんどくさい話によくなるんですよ。“人生とは”みたいな(笑)。あるとき、友達がべろべろになりながら言った「自分のまわりのそのまわりは自分なんだ」という言葉がやけに残っていたんです。「central」って中心って意味じゃないですか。そのl(エル)ってI(アイ)とも見えるでしょ。そのIが「自分」っていう意味で作った曲なんです。まわりの世界から見たまわりは自分っていうことです。結局、自分に返ってくるってことですよね。だから中心にある自分を抜いても、自分っていうことになったっていう曲です。
ー結婚されて家族ができたことによって曲づくりに変化はありましたか?
“生きる”という方向に進むようになりました。一人のときは、“破壊的で破滅的”だったんです(笑)生活も無茶苦茶だったから、随分変わりましたね。その分、音楽もめちゃくちゃ変わりました。ギターの音がアコギなのに“破壊的で破滅的”だったのが、今は全然違います。お客さんにも言われます。
—他ジャンルとのコラボも色々されてますよね?
2016年から能楽とコラボレーションをしています。能楽って台詞がなくて動きだけでストーリーを表現するんですよね。舞だけで伝わってくれるものがすごくて、興奮しますよ。能楽とアイリッシュ音楽のコラボって他にやっている人はいないです。今後もまたツアーをやりたいなと思っています。岡山でもできたらいいですね。
—ぜひぜひ岡山で!今後一番やってみたいことはなんですか?
一番やりたいことは、ヨーロッパツアーです。アイルランドと、イギリスに修行で1ヶ月半いったんですが、一番居心地がよかったです。ドイツにもこのギターを作ってくれた職人さんがいらっしゃるので、会ってみたいです。
“破壊的で破滅的”だった人生から“守るもの”ができて一変した彼の音楽。しかしその本質は変わらないのかもしれない。今の彼だからこそ鳴らすことのできる音があり、それが人々の心をつかんでいく。
<プロフィール>
福江元太(ふくえげんた)
ギタリスト、作曲家
アイリッシュやソロギターのスタイルを軸に全国で幅広く活動している。葉加瀬太郎「What a day」ツアーで、アイリッシュフィドラー功刀丈弘とNHKホール、オーチャードホール等で前座を務めたほか、革製品の会社Sukumo LeatherとスニーカーメーカーBluestoneのプロモーションCMの楽曲全面制作、また山田孝之主演、石橋義正監督の映画「ミロクローゼ」の挿入曲に参加するなど活動は多岐にわたる。現在、功刀丈弘’s Tabula Rasa、La feau(ラフュー)、Hanz Araki Trio、ライノス、水瓶などのバンドと平行してソロでも多くの場所で演奏している。