”聴いてくれる人に本当に幸せになって欲しいと願って歌ってるんです。
音楽ってね、花火みたいなものなんです。
音が終わったらもうなくなっちゃう。
でも、人の心には残るんです。”
わたしが松本圭介さんに出会うきっかけになったのは、お互い“山崎まさよし”ファンであるということ。2018 年に山崎まさよしの曲をモチーフにして開催した写真展のイベントとして“山崎まさよしカバーライブ”にオファーしたのがきっかけだった。そんな彼に、音楽をはじめたきっかけから、家族のことまでじっくり訊いてみた。
■青いギターに憧れて
—弾き語りをはじめたきっかけは?—
「17歳ぐらいの時、カラオケが流行っている中で、テレビで青いギターを弾いているミュージシャンに衝撃を受けて、これは、かっこいい!モテそうって思いました(笑)」
—圭介さんも、“モテたい”ってキーワードがあったんですね(笑)
「いやー思いましたよ。その後、ギター買って教則本で練習しました。やっぱり、誰もがぶつかるFのコードが出来なくて、挫折しました。しばらく、やめてたんですけど、友人がエレキギターを弾きこなしているって聞いて、ちょっとくやしくなって、もう一度練習しはじめました。」
■お手本は、山崎まさよしの弾き語りライブDVD
—その後、人前で歌うまではどんな道のりだったんですか?—
「20歳ぐらいから、路上で歌うようになりました。そのころ会社の先輩に山崎まさよしファンがいて、“ONE NIGHT STANDS ON DVD”(山崎まさよしの1999年から2000年に行われた弾き語りライブが収録されたDVD)を見せてもらったとき、なんじゃこりゃ!って思ったんです。なんてギターがパーカッシブな音がするんだ!このアルペジオの重厚な感じは何だ!って。それからギター好きが集まって山崎まさよしの教則本を研究する会が開催されるようになったんですよ。」
—その勉強会、わたしも見てみたかったです(笑)—
「その時、アコースティックギターは、伴奏じゃなくて、主張するものなんだと思って、それからギターがめっちゃ好きになりました。」
■人の心に響く歌を
—作曲作詞はいつぐらいからはじめたんですか?—
「2005年ぐらいに、ライブをしようと先輩から誘われバンドをはじめました。でも、それぞれの個性が強くて難しいなと思ってソロでやることになって。でもそれだと自分の書いた歌じゃないとだめだなと思ったんです。そこから、作りはじめました。でも、自分の歌に自信が持てなかったから、母親や妹にラブソングとか聞かせて反応をみてました。今から思ったらおいおいって感じですよね(笑)でも、すごくほめてくれて。それから路上ライブで先輩ミュージシャンに“いい曲!”って言われるようになって、自分の歌は人の心に響くって自信がつきました。」
—それからレコーディングしてCDつくっていくんですねー
「2009年にアルバムをだしました。音質にこだわって、クオリティーもあがって、納得いくものができたと思っていました。でもその後、“何のために音楽をしているのか?”わからなくなって、2年ぐらい音楽をやめた時期がありました。その空白の時間、DIYにはまってました。DIYのカリスマブロガーだったんですよ(笑)」
—DIY好きも山崎まさよしとの共通点がありますね!!!(笑)
「でも本当は、音楽に未練があったんです。音楽に一切触れないようにしていて。でも、ある時奥さんから「音楽やらんの?」って言われてまた始めてみようとおもったのかな?復活してからは、2年隠していた音楽をやりたい想いが爆発した感じになりました。でも、レコーディングしても、クオリティに納得いかず中止したり、くやしい経験もしました。」
■テクノ伝道師サワサキヨシヒロがプロデュース
—2017年に転機となるアルバムがリリースされますねー
「いいご縁があってサワサキヨシヒロさんのプロデュースで “My song is your song”のレコーディングをすることになりました。そこから、ガラリと自分も周りも変わりましたね。サワサキさんに認められたのは自信にも繋がりました。」
—このアルバムに入っている“SUNRISE”を2018年にシングルカットされて、素敵なミュージックビデオを作られてましたね!ー
「MVもすごくこだわったんですよ。時間もかけました。ロケーションもすごいし。なかなか行けないところなんですよ。前の夜から入ってキャンプして早朝に山登ったら、雲海がばーって広がって!」
—拝見しましたが、神がかってました!ー
「撮影班もテンションがあがっていましたね。ほんと、僕にとって大事な曲です。」
■西日本豪雨の復興ソング“あいのて”
—2018年の西日本豪雨の復興ソング“あいのて”について聞かせてくださいー
「歌が出来たきっかけは、ミュージシャンの友人である浜端ヨウヘイの言葉ですね。“松本圭介が被災地のために歌を作って届けないといけない”って背中を押してくれました。」
—岡山県で最も被害の大きかった倉敷市真備町にも通われてますよね—
「月1回、歌いに行かせてもらっています。僕、引っ込み思案なので、最初はすごく勇気がいりました。人によっては感じ方がいろいろだと思いますが、喜んでくれる人がいると本当に嬉しいです。」
—真備町に通い続ける理由ってなんですか?—
「聴いてくれる人に本当に幸せになって欲しいと願って歌ってるんです。音楽ってね、花火みたいなものなんです。音が終わったらもうなくなっちゃう。でも、人の心には残るんです。仮設住宅から見に来てくれた人が“今日はほんまにありがとう”っていってくれたら本当に嬉しいです。だから続ける。これからも活動範囲を広げてまだまだ続けていくプロジェクトです。」
—もっとたくさんの人に“松本圭介”を知って欲しいですねー
「自分にもっと可能性があると思っています。僕の歌でもっと救える人がいる。僕の歌を聴いて“今日も1日がんばろう”って思える人がいる。だから、沢山の人に会って聴いてもらいたいです。そのためにも、コツコツ続けていこうって思います。継続が大事ですね。」
■息子に人生楽しんでいる姿をみせてやりたい
—家族に対して想うことは?—
家族の協力があるから今の活動ができているんですよね。自分が楽しそうにしていたら、家族も幸せなんじゃないかな?って思います。デジタルに支配されているようなこの生きにくい時代に、なんで僕を産んでくれたんだ?って子供に言われたら一番つらいなって思って。だから、自分自身が音楽で人生を楽しんでいるということを息子に見せられたらいいなって思うんです。」
—圭介さんにとって音楽を一言で表すなら?ー
「自己表現ですね。写真でも芸術でも一緒ですよね。コミュニケーションのひとつというか。以前も緩和ケア病棟の患者さんの前で歌ったときに音楽の持つ力はすごいって感じたんです。自分の歌で人々を救いたいと思う。でも裏返せば、自分も救われているってことです。」
—なるほど。“自分も救われる”って分かる気がします。わたしにとっての写真も同じです。それを励みにまた新しい曲が生まれていくのですね。2020年は、40歳記念のバースデーライブも2月に控えているとか!今からとても楽しみにしていますね。
<プロフィール>
松本圭介(まつもとけいすけ)
岡山県に生まれ、小学生時代、桃太郎少年合唱団へ所属し県内外のホール公演、シドニーオペラハウスでの海外公演を経験。2017年リリースの2ndアルバム「My song is your song」は、プロデューサーとして、日本を代表する「テクノ伝道師」で作曲家でもあるサワサキヨシヒロを迎えて制作。このアルバムは発売直後から各方面で話題を呼び、Yahoo!ニュースにも取り上げられたことで地元岡山のみならず、全国規模で知名度が急上昇。2018年6月再びサワサキヨシヒロとタッグを組み、松本圭介が長年歌ってきた名曲との呼び声が高い「SUNRISE」をシングルカット。2019年7月6日西日本豪雨災害復興支援ソング「あいのて」をリリース、倉敷市真備町の復興支援にも力を注いでいる。
公式ホームページ https://www.keisuke-matsumoto.com